Gnosis Lecture Room

講義シリーズ

[治療] [性エネルギー昇華] [若返り]

その1:治療

国の昔話によれば、ある王様が自分の国から病気を無くしたいと思っていた。 この王は、誰もがあちこちで病気になったり、病気の影響を受けているのを目にした。 このようないきさつで王国全土に大きな弊害と非効率がもたらされた。 ある病人は仕事に行けず、あるいは一王国民としての務めを果たすことができず、その代わり病気のせいで苦しまないといけなかった。 親戚達は彼の世話をしなければならず、彼らの日々の通常の営みが止まってしまった。 時には病人と接触したために病気が他者に移ったこともある。 病気が引き起こした諸問題に注目した王は、王国から病気を一掃しようという決意に達した。 この王は、全ての病気の原因と、二度と再び発病しないよう講じるべき手段とを知った。 王は家臣達にこのことを教えにかかった。 この家臣達は交代で、この手段の数々を全国民に教えるよう命じられたので、知らないから病気になったとは言えなくなった。 それ以来、その王国の住民にとって病気になることは罪となった。

しかしながら、物語の王国とは違って、病気はあらゆる社会に広がってしまい、減少の傾向は見せない。 現代社会の人々は病気の兆しが現れると、かかりつけの医者に駆け込み、治療薬を処方してもらうことができる。 いわゆる「未発達」の文化や「迷信的」な文化でさえ、呪術師やシャーマンが病気の人々を助けるために常に存在してきた。 病気はいつも人生の中で大きな役割を占め、病気は避けられない、そして私達は決して病気にならない能力を持っているという暗示でさえ馬鹿げて聞こえる---こういった根深い思い込みがある。 もし現在の考え方を持ち続けるならば、そうである。

西洋医学にともなう問題は、病気の実際の原因を見出そうとはせず、むしろ症状を治療して、処理することにある。 「予防医学」と呼ばれるものでさえ、病気の本当の原因を処理することはしない。 「健康な生活」と「健康な食事」を通して、心臓病や高血圧のような病気にかかる可能性が低下することは確実であるが、病気の可能性が無くなるわけではない。 西洋医学が病気の本当の原因を処理しないのは、今日の医者が病気の本当の原因を知らないからである。 医者は常に病気を細菌やウィルス、その他の微生物のせいにする。 しかしながら、もし私達が病気の本当の原因を知っていて、絶対に病気にならないことうけあいの確実な方法で働けば、病原菌のせいで病気になることは決してなかったのだが。 そのような場合には、免疫系は最初から首尾よく病気と戦ったのだが。

東洋医学の病気に対する見解は、西洋医学とは違う。 東洋では、気と呼ばれる肉体をかけめぐるある種のエネルギーが存在すると考えられているが、私達に生命と活力を与えるのはまさしくこの気なのである。 病気は、この気の自由な流れが止まった時に起こり、そのとき気は身体のどこかでふさがるようになる。 東洋の治療師の目的は、身体のどこで気がふさがっているかを見つけ、その部分の邪気を取り除くことにより、自由な流れを回復させ、また気がふさがるようになった理由を発見することである。 このようにして患者にその原因を告げることができ、うまくいけば患者は二度と病気にかからないことが可能であろう。 これが指圧や鍼(はり)の基礎となる前提である。 身体のある要所を押したり、小さい鍼を刺し入れることによって、開業医は気を自由にして、その通常の流れを取り戻そうとしている。

「ノーシスの教え」には、治療のテーマと病気の原因についての情報が非常にたくさん含まれている。 すべての病気の本当の原因は事実上、心理的なものである、とノーシスでは教える。 私達全員が所有するエゴが、この人生で被る病気のすべての原因である。 エゴを取り除くことは、人生における病気を取り除くことをも意味する。 しかしながら、一度病気が襲ってきたら、いろいろなノーシスのテクニックと方法を通じて治療することができる。 治療の瞑想、視覚化とイメージ、治療のマントラ、また植物を用いるものなど、名前をあげたのはわずかである。

「オカルト医学書」という本の中で、サマエル・アウン・ベオールは、植物を独自に用いた病気治療法を示してくれる。 ここにある鍵は、物理的な植物を使用しているのみではなく、ある種のマントラや瞑想の助けを借りて、エレメンタル(植物の精)すなわち植物の内的知性に病気治療を願っているところにある。 植物やエレメンタルの使用による治療の研究は、興味をそそる魅惑的なものであるが、ここで扱うにはあまりにも広範囲にわたる。

しかしながら、必然的に病気に屈しなければならず、病気にかからないで生活することはできないという考え---それが健康でいられるために超えなければならない主要な障害である。 体調がよければ身体は独力でほとんどすべての病気を完璧に癒すことができる、とノーシスでは教える。 問題は、大多数の人が現在こういった体調でないということである。 健康な体を常に持とうとすべきである。 なぜならそのような体はすべての障害に立ち向かうことができ、どんな環境でも適応できるからである。 このようにして物質的作業と精神的作業の両方を自分の体に要求することができ、体が私達を失望させることはなかろう。 サマエル・アウン・ベオールは述べている、「エソテリスト(秘教家)、イニシエイトは決して病気にかかってはならない。病気と悩むべき問題は、真実の道の途上にない人々のためのものである。」 肉体は内なる本質的存在(ビーイング)の物理的寺院として描かれてきたが、自己実現に至るために強健な体が必要である。 体を酷使すべきではないが、その気まぐれのどれにも屈するべきでもない。

細菌、ウィルス、気象などといったものは、病気の本当の原因ではない。 心理的エゴが私達を病気の餌食に陥れようと用いる一つの手段として、適当な量のエネルギーを私達に持たせなくしたり、身体におけるこのエネルギーの適当な流れを阻害したりというのがある。 本当に健康であるために必要なものの一つは、今以上のエネルギーである。 普通の人の一日は、疲れが取れないまま朝目覚め、服を着て、(多分)一口分の食べ物を取り、仕事に急いで出て行くというようなものである。 そして仕事から戻ったら、夕食を取り、「リラックス」するためにテレビを見て、それから床に就くのである。 夜の間に彼は、翌日同じパターンを繰り返すのに丁度十分なエネルギーを回復する。 ありふれた印象をこれに感じるか。ほとんどの人々がかろうじて十分なエネルギーを持っていて、その日を乗り切る。 このエネルギーが十分でないとき、免疫系は弱まり、その後私達は病気になる。 この決まりきった日常をある一定の年数経ると、以下のお決まりの病気になる。 高血圧、心臓病、ストレス、頭痛等。

それゆえ、いかにしてエネルギーを保存するか、この時点で私達が持っているエネルギーの量をどのようにして増やすのか、知る必要がある。 これは二つの主な方法で行う。 1.心理的方法:自己観察と自己想起 (瞬間を生き、同一視しないようにして、注意力のエネルギーを保存する) および印象の変換 2.錬金術的方法:性的変換 (性エネルギーの変換と高次レベルへのその方向づけ)


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